うた、ことば、ふうけい。

合唱、作曲、その他いろいろなこと。

夢の話をしよう

それら 祈り 愛 神 を生みうる唯一つの光
    それこそが 夢
宗左近「夢 死者語る」より)

こんな時だからこそ、夢の話をしよう。

最近気づいたのだけれど、ぼくの夢は二つに集約されることに気がついた。
一つは、子どもを幸せにすること。もう一つは、ぼくの書いた曲で人を感動させること。

中学を卒業する段階で、ぼくの夢は中学校の先生だった。もっといえば、音楽の先生になりたかった。
学校行事における合唱を通して、自分が救われたからである。
その頃すでに曲を書いていたので、自分で作曲もする音楽の先生という、やや具体的なイメージすら抱いていた。

今になって振り返ってみれば、その夢のかたちは少しずつ崩れていっていた。
音楽という教科を断念して高校では普通の理系クラスに進み、中学ではなく高校の教員になるよう諭され、大学では教育学のコースに進んだはいいものの、そこで学校というものを相対化して考えた時に、自分の進むべき道が分からなくなってしまった。
それまでの自分は、学校の先生という職業の、ほんの上澄みだけしか見られていなかった。それに、自分の主観的な経験が強すぎた。
もちろん、それがだめだということではなく、そこから考えを深化させていけば、今ごろ立派に教員をやっていたかもしれないが、残念ながら自分はそうすることができなかった。学校の先生になるということの意味を、それ以上深く問うことができなかった。

結果として、思っていたのとは全然違う職業に就いた。
でも、それによって自分の夢が全然違うかたちになったわけではないことに、ようやく気づいたのである。

自分の中に、「子ども」に対する気持ちがずっと残り続けていたことに気がつき、希望を出した結果、この春から子どもに関わる部署に配属されることになった。
一方で、作曲も地道に続けてきた結果、演奏会で演奏され、しかもその動画がYouTubeに上がった。
「作曲をする音楽の先生」という、当初思い描いていたかたちとは少し違うけれど、「子ども」と「作曲」という二つの軸が、それぞれでかたちになり始めている。
自分の夢は、表面上のかたちを変えながらも、そのままの状態でずっと心の奥底にありつづけていたのである。
おそらくこの夢は、これからもまさしく永遠の光として、自分の中にありつづけるのであろう。

もっとも、これからもまた新たな困難が待ち受けていることだろう。
それでもなお、自分の夢を信じ続けることによって、道は拓かれていくのだろうと思う。



永遠の光(松本望「二つの祈りの音楽」混声合唱とピアノ連弾のための より)



【ボカロ8人(8 Vocaloids)】ゆめのかたち(Yumeno katachi)【ふわりP(FuwariP)】


cf.

irny-prt-rp.hatenablog.com

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