うた、ことば、ふうけい。

合唱、作曲、その他いろいろなこと。

まちとうた――岐阜と"Aqua Timez"

※この記事は、2016年に別の媒体で書いたエッセイをリライトしたものになります。

その時は、まさか活動休止することになるなんて思いもしなかったのだが……
2016年秋、Aqua Timezボーカル太志の故郷である岐阜市で、とあるイベントが行われた。

Aqua Timez×岐阜市「まだ、はじまったばかりプロジェクト」プロジェクトソングお披露目イベント


Aqua Timezのイベントに参加しようと岐阜を訪れたわけだが、当時からまちあるきが趣味だった僕は、この時もイベント前後に岐阜のまちをあるいた。岐阜駅、柳ヶ瀬、岐阜公園、そして長良川と。このまちを構成する要素のうちのいくつかを巡り、そこで感じたのは、まず、趣味的な面白さだ。ただ、今回はその話は置いておこう。
次に僕が必ず想像するのは、このまちでの暮らしである。僕ももう何十ものまちをあるいてきたと思うが、そこには僕の経験し得なかった暮らしがたくさんあるのである。もちろん、同じ日本国内の話、それは微妙な差異でしかないのかもしれないが、そのまちにあるスーパーの名前から、お出かけをしに行く場所まで、暮らしを構成するいろいろなものがまちによって異なる。そういったもの一つ一つは大したことないかもしれないけれど、暮らしているうちに心の深層に染み込んでいき、ふと思い出しては懐かしむことのできるような、ちょっとした宝物になるのではないだろうか。

それで、今回のイベントの話に戻るのだが、この岐阜というまちで育った太志さんが、岐阜というまちのために歌った。それを目の前で聴くことができ、上に書いたことを強く再認識した。

東京へ出て、ミュージシャンとして活動し始めた太志さん。Aqua Timezを結成し、このときで10年。「不思議と」故郷への執着が出てきたという。メンバーが語るに、歌を続けてこれた「原点は岐阜に」あったようだ。

「岐阜と」の歌詞に書かれているように、
お袋がいて、親父がいて、ばあちゃんがいて、
萬両のかまめしがあって、八起の餃子があって、
金公園、新岐阜百貨店、その他もろもろの場所にいて……
そんな岐阜で、太志さんは育ち、今の太志さんとなり、数々の曲を書かれたのだと。

まちそのものは、暮らしの舞台に過ぎない。しかし、暮らしという長い時間の蓄積を通して、いろいろなことを学び、人と関わり、人間にとって大事なことを覚える。そしてふと振り返ったとき、そこにまちが、暮らしがあったことに、わたしたちは気づくのではないだろうか。太志さんにとっては、それが岐阜であったのだ。

僕にも、18年間暮らしてきた故郷があり、また大学の4年間を過ごしたまちがある。就職してから、また違うまちでの暮らしが始まった。
それぞれに大切なものがあるように思う。この先、「故郷への執着」みたいなものが出てくるかもしれない。いずれにせよ、これまで自分を育んでくれたものに感謝し、このまちの上で、いまを精一杯生きていけたらと思う。


あまりこのブログでは、まちをテーマに書いてこなかったような気がするので、しばらくの間、意識的に取り上げられたらと思います。