この1年間、たまにこのブログを開いては、何かを書こうとしたが、何も書けずにいた。個人的なことを文章に書き起こすブログという行為は、習慣化していないとなかなか難しい。こんなことを書いて何になるんだという気持ちになるからだ。
それでも、今日はなんとなく、書いてみる気分になっている。新幹線で暇だからかもしれない。
(本も持ってきているのだが、驚くことなかれ、全然集中が続かなくてすぐに本を置いてしまうのである。)
あるいは、素晴らしい演奏を聴いて、表現欲求が高まっているからかもしれない。人は感動体験を得ると、何かしたくなるものである。
音楽、合唱。結局これがぼくの軸である。それは変わらない。
1年半のブランクが空いても、全く変わらなかった。
より正確にいえば、休息期間を得たことによって、ある種の覚悟というべきか、やはり自分は合唱と向き合って生きていくんだという気持ちになれた。自分でいうのも何だが、むしろ休む前より、積極的に歌えている気がする。体力を失ったことが切実な問題ではあるが。
何で2年前の自分は、合唱と向き合い切れず、ついに休むことを決断したのだろうと思うのだが、おそらくは「(うだうだ考えているようで)何も考えていなかった」からなのだろう。勢いだけはあったので、入れると思っていなかった団にも入って貴重な経験をさせていただいたが、それ以上のビジョンが見えなかったから、潰れて(?)しまったのだろう。
まあ、今でもビジョンというほどの大層なものは見えていないのだが、あの時よりは合唱・音楽に対する欲求を明確に意識していて、目指すべき方向に向かっているといえるかもしれない。
(「意識していて」というのが大事なのかもしれない。あの時は合唱をするのがあまりにも当たり前で、意識などできていなかった。)
少しずつ。本当に、少しずつである。俯瞰してみれば、人間は少しずつしか変われない。
だからもどかしいし、いらだたしくもなる。本当にもどかしいけれど、日が昇って沈むスピードに比例してしか、自分は変われない。あした日が昇るまでのあいだ、自分はこの未熟な自分のままだ。
それでも、少しずつ。