うた、ことば、ふうけい。

合唱、作曲、その他いろいろなこと。

夢の話をしよう その2

前エントリーの続き、というか関連。
前回はどちらかというと、学校の先生になりたかった→それを断念して違う仕事に就いたという流れが中心になったし、以前にも子どもに対する思いみたいなのは書いたので、今回は作曲をするようになった経緯とかを書きたいと思う。

作曲をするようになったのは、大合奏! バンドブラザーズで遊んでいたのがきっかけである。このゲーム、演奏のみならず、作曲機能もついていたのだが、気が付いたら作曲しまくっていた。もともと自分で何かを作るのが好きだったように記憶しているが、その要因までは分からない。ただ、このゲームソフトが自分の人生を大きく変えたと言っても過言ではないだろう。
その後、中学2~3年くらいだったろうか、パソコンを使って作曲するようになった。いわゆるMIDIシーケンサを使ってポチポチ音符を打ち込んだ。音楽の理論はインターネットを使って勉強していた。色々なサイトを見たが、ウィキペディアにはお世話になった。少し時代が違えば、やはり自分の人生は全然違っていただろう(もちろん、インターネットがなければ図書館で勉強していたかもしれないが、家のパソコン一台で勉強から実践まで完結できるのは大きな助けになったと思う)。

作曲がただの自己満足ではなく夢に変わったのは、中学を卒業する頃。クラスメートや先生への感謝の気持ちを曲にして自ら歌うという、我ながら大胆なことをやってのけた。それがどれだけ稚拙なものだったとしても、目の前の人に自分の作品が届き、そして受け止められたということで、自分の中で「これだ!」という思いが湧いた。
自分の生んだ作品が人に受け止められるというのは、自分の中身が認められたという自己肯定につながる。それまで自己肯定感が著しく低かったこともあり、作曲が自分の生きがいになったのである。

その後は、ニコニコ動画ボーカロイド曲を上げるなどもしたが、作曲のペースは停滞し始めた。高校時代は陸上部の活動や受験勉強に、大学時代は合唱団の活動など様々なことに時間を取られてしまった。また、当初はクオリティなど気にせずひたすら数をたくさん書いていたが、クオリティを気にするようになると、余計に書ける曲の数は減ってしまった。
なお、高校くらいまではポップス曲を中心に書いていたが、大学に入って合唱を始めてからは専ら合唱曲を書くようになった。理由は怠惰なもので、ポップス曲の楽器のミックスに手をつけられなかったのである。いわゆるDTMは、楽器の音までしっかり作り込まないとよいサウンドにならない。そこまでやる気にはなれなかった、という話である。もちろん合唱が好きというのもあったが……

そのような感じで、作曲への熱は冷めたかのように思えたが、大学3年の秋くらいに書いた合唱曲が団内で評判を得た(演奏は団内のイベントで春に行われた)。合唱団における自分の仕事が落ち着き、精神的にも(それまで色々あったのが)落ち着いてきた頃に書いたものだったが、それを如実に反映したのかもしれない。自分で言うのも何だが、一回り成熟した音楽が書けたように思う。これを機に、本格的に合唱曲を作っていこうと思うようになった。
そうは言っても難しいのが、合唱曲は演奏してもらわないと形にならないというところである。大学卒業時には再び団内で新曲を演奏してもらったが、就職後に入った団ではなかなかそのような機会がないと思っていた。しかし、縁あって入った団で、とりあえず歌ってみようかという感じで自作曲を取り扱ってもらうという幸運を得た。その結果として、「明日」の演奏にもつながった。ついに自作の合唱曲が演奏会で演奏され、ネットにも上がったのである。一人でやって上げるだけのボーカロイド曲の時とは全然違う感慨である。

以上、作曲を始めたきっかけから、それが夢になり、そして今に至るまでを概観してみた。自分の中で「作曲(創作=自己表現)したい」という欲求がくすぶっていたのもあるだろうが、それに偶然が積み重なって、作曲が自分の夢に、自分の生きがいになっていった。見方を変えれば、自分を取りまく環境が常に変化し、色々なものが自分の中から崩れ去っていく中で、残ったものの一つが作曲なのだと思う。
夢ってそういうものなのかもしれない。ここまで、かたちは変わっても核はずっと残ってきた夢なのだから、これからも大切にしたいと思う。
目下、組曲が仮完成したところである。また演奏で取り上げてもらえるよう、営業も含めて頑張っていきたい。