うた、ことば、ふうけい。

合唱、作曲、その他いろいろなこと。

やっと、夢から覚めて。

大学卒業後、2年間の関西での勤務を経て、関東にやってきた。
関東では遊べない日々が続く中、にわかに懐かしく思えてきたのは、関西での生活、もっといえば、大学在籍時の生活だった。

学部での勉強、大学合唱団の活動、仲間と過ごした時間……
そして、その舞台となったまちのこと。

学部のキャンパスと、サークルの活動しているキャンパス、それにバイト先がそれぞれ離れていたから、クロスバイクで縦横無尽に駆け回った。この行動範囲が、ちょうど箕面の南西部から中心部を経て、東南部までをカバーしていた。そのため、ぼくの大学生活と箕面のまちは密接に結びついている。いろいろな思い出が、箕面のまちのあちこちに散らばっている。

時には阪急電車北大阪急行に乗って大阪市内に出かけた。大阪モノレールにも、阪急バスにもたくさん乗った。

そこには、ほんとうにたくさんの思い出が隠されていて、ぼくが尊い大学生活を過ごした証になっている。

就職が決まったのが卒業の直前で、本当は(卒業はした上で)1年間のモラトリアムがあるはずだったのだが、慌ただしく学生から社会人のステージに移行してしまった。だから、大学生活を落ち着いて振り返り、消化する余裕がなかった。最初はたまたま関西に配属だったから、まるで大学生活の延長のように、合唱活動に打ち込み、仲間と時間を過ごし、仕事はそこそこにこなした。

そうしていたら、関東に異動になった。情勢が悪化する前から合唱は休もうと決めていたが、合唱どころか仲間と遊ぶことすらできなくなり、ひとりになり、ようやく、夢から覚めたようだ。

……この涙はどこからきたのだろう

谷川俊太郎シャガールと木の葉」より)

箕面に戻りたいと思った。何なら、大元の故郷である安城よりも。

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