ふと、半年間だけ住んでいた元住吉のことを思い出す。都心から遠く離れた静かな郊外だけではなくて、あのくらいのちょうどよく雑然とした感じの街も好きだったな。
どうしてかここではいろいろな街に住むことになったけど、それらを通じて思ったのは、絶対的に良い街なんてない。好みはあれど、あとはだいたい、利便性で住むところなんて決まるものなのだろう。次に住むことになる街も、そうして「だいたい」で決まったといってもよい。
いずれにせよ、そこで自分が自分らしく、というか、何ごともなく過ごせれば、それが一番だと思う。けれど、それが当たり前ではなく、自分ではどうしようもない力がそこに働いていることがあるというのを、この数年間で痛感することになってしまった。
自分の応援するアーティストが、笑顔の裏側で、計り知れない努力と苦労、悔しい思いをしていることを知ったとき、自分の不甲斐なさにどうしても目がいってしまう。どうして自分はもっとがんばれなかったんだろう。
でも、それどころではなかったのだ。というと、言い訳にしかならないだろうか。
強いていうなら、心は熟成されたかもしれない。あまりに色々なことがありすぎて、たくさんの雑味を含んだ何かに仕上がった。そうでなければ書けなかった曲もある。
だがしかし、やりたいことはもっとたくさんあったし、もっと自分を高めたかった。不完全燃焼で発生した物質が余計に自分を苦しめているような気がしてならない。
それでもぼくは、ここを去らなければならない。
もちろん、またここから、いくらでもやり直せる。前に進める。進むしかない。
ここで、筆が止まる。これ以上、書くことはない。
結局は、やるしかないのか。
たとい自分が人より不幸だったとして、思うようにいかなかったとして、自分より前を行く人を妬ましく思ったとして、それでも――